礼拝の話

2022/09/13 

9月9日(金) 聖書 マタイによる福音書 7章3~4節 日本キリスト改革派 山田教会 高内信嗣牧師

夏休みが明けて、久しぶりに皆さんとお会いすることができて、感謝します。

夏休みは私も一週間休暇をいただきました。

数日間、千葉にある妻の実家でのんびりしました。

義理の父は多くの本を持っており「いらないからほしい本があったら持って帰っていいよ」と言われました。

色々と本を物色していますと「スヌーピーたちの聖書のはなし」という本が出てきました。

アメリカの「ピーナッツ」という漫画に登場する主人公チャーリー・ブラウンの飼い犬がスヌーピーです。

「スヌーピーたちの聖書のはなし」という本は、「ピーナッツ」という漫画のある場面をとりあげながら、聖書との関連を説明する本となっています。

その中にある場面がありました。

ルーシーという個性的な女の子がいます。

わがままで、口うるさく、すぐに怒ったり、意地悪をしたりします。

そのルーシーがチャーリー・ブラウンに話しかけます。

「そもそもあなたの何がいけないのか知ってる、チャーリー・ブラウン?」

これに対して、チャーリー・ブラウンは「いや、でも知りたくない!ほっといてくれ!」と言ってその場を立ち去ります。

するとルーシーは、立ち去るチャーリー・ブラウンに叫びます。

「何がいけないのか聞こうとしないのがそもそもいけないのよ!」

ですが、ルーシーもいつも意地悪をする女の子です。

ルーシーも聞く耳持たず、なのです。

彼女もまた同じなのです。

どちらも自分の問題には気づかない。

あったとしても聞こうとしない。

チャーリー・ブラウンの問題に気付きながらも、自分の問題には甘いのです。

今日読んでいただいた聖書の言葉にはこうありました。

「あなたは、兄弟の目にあるおがくずは見えるのに、なぜ自分の目の中の丸太に気づかないのか。兄弟に向かって、『あなたの目からおがくずを取らせてください』と、どうして言えようか。自分の目に丸太があるではないか」。

他人の小さい問題にはすぐに目がいくのに、自分の大きな問題を認識することができない。

他人に厳しく、自分に甘い、ということですね。

この御言葉から教えられるように自分の欠点、悪いところはなかなか気づけません。

自分の姿勢を正すためには外からの声が必要です。

夏休みが終わり、先週からまたチャペルが始まりました。

このチャペルは、朝の退屈な時間かもしれません。

これからも毎日、聖書の言葉が語られます。

ですが、この聖書の言葉こそ、私たちの姿勢を正す、神の言葉なのです。

良い言葉だけが語られているわけではありません。

耳が痛い言葉も当然あります。

自分の気づきたくない、「汚さ」に気付かされることがあります。

その時、私たちは「それはみんなやっていることだ」と開き直るでしょうか。

それとも、それが自分の問題だと受け止めるでしょうか。

後者であってほしいと願っています。

聖書に登場するイエス・キリストというお方は問題だらけの私たちを受け止めてくださいました。

自分の欠点に気付かされ、耳が痛い言葉を聞き、自分のしくじりを見つめれば見つめるほど、イエスの懐の大きさに気付かされるでしょう。

欠けだらけだったとしても、問題だらけだったとしても、イエスは今日も私たちの全てを受け止めてくださっています。

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