礼拝の話

2022/09/02 

9月1日(木) 聖書 創世記 2章4~8節 校長 小西二巳夫

今日から2学期が始まりますが、今日9月1日を迎える気持ちは人それぞれ違います。

そこで、今日の始業礼拝で、それぞれ違う考えや感情を持った私たち一人ひとりが、これから始まる2学期、12月のクリスマスまでをどのように過ごすのか、何を大切にすればいいのかを考えてみたいと思います。

「天から役目なしに 降ろされた物は 一つもない」。

この言葉は私が北海道でキリスト教の仕事をしていた35年前に知り合った萱野茂さんという方が教えてくれた言葉です。

これはある言葉を日本語に翻訳したものです。

その言葉とは「アラン ケプ シネプ カ イサム」、アイヌ語です。

日本語が日本人の使う言葉のように、アイヌ語はアイヌ民族の言葉です。

アイヌ、アイヌ語と言われても、ほとんどの人はピンと来ないでしょう。

先ほど、私に「天から役目なしに 降ろされた物は 一つもない」という言葉を教えてくれた萱野さんはアイヌで、参議院議員になった人です。

アイヌという言葉はもともと「人」という意味の言葉です。

そのアイヌが大切にしてきたのが、先程の言葉です。

人というのは身勝手な人間、「気まぐれ」な存在です。

「天から役目なしに 降ろされた物は 一つもない」は、そういう「気まぐれさ」を持った人に対して、人は自然にあるもの、多くの命によって生かされていることを、教えているのです。

誰によって生かれされているのか、それをアイヌ民族は「カムイ」と考えました。

カムイという言葉は神と訳されることが多い言葉です。

この神という言葉には、手の中で包み込むように大切にするというニュアンスが含まれています。

包み込むような存在がいなければ、人は生きていけないということなのです。

この包み込むような存在を、今の言葉にすると「環境」になります。

SDGsが国連サミットで取り上げられ、世界の共通の問題になっているのは、これ以上環境を壊し、悪化させると、人は生きていけなくなることがはっきりしているからです。

さらに考えたいのは「天から役目なしに 降ろされた物は 一つもない」は、物自身に対して言っているのではなく、人に対して言っているのです。

自然のもので何一つ不必要なものがないように、ましてこの世に誕生した一人ひとりには、不必要な人はいない、その人だけに与えられた存在の意味、役割があるということ教えてくれているのです。

このようなアイヌの精神は、そのまま旧約聖書の神と人の関係に重なります。

創世記では人が誕生する前にまず自然が作られています。

このことからも、人が生きるためには、自然環境がいかに必要かわかります。

神が一人ひとりに命の息を吹き入れた、それによって生きるようになったのです。

吹き入れられた息には暖かさ、ぬくもりがあります。

人が生きるためには暖かさとぬくもりがいることがわかります。

それを今の言葉にすると人間関係です。

この人間関係を私たちは壊したり悪くしたりすることが多いのです。

このように考える、今日から始まる2学期の学校生活の中で、私たちが何を大切に過ごせばいいのかが明らかになります。

一つは過ごしやすい環境を作る存在になることです。

自分自身が清和という学校の空気を作っているとの自覚をもって過ごすことです。

もう一つは自分のちょっとした言葉や行動が、人間関係を壊すこともあるとの自覚をもって過ごすことです。

人間は作ることより壊すことの方が得意です。

人間関係を上手に作れる人はあまりいないということです。

そのことで、多くの人はしょっちゅう失敗をします。

そこで、思い出したいのが、自分が息を吹き入れられた存在であることです。

人間関係でうまくやれなかった時に、まず創世記の神を真似たらいいのです。

息を吹き入れる、吹きかける動作をしてみることです。

自分の手にふうっと息を吹きかけると、暖かさとぬくもりが感じられます。

その温かさとぬくもりによって心がやわらかくなり軽くなります。

そのような自分を目指すなら、これから始まる2学期が、必ず一人ひとりにとって幸せな時間になっていくのです。

学校生活の様子

学校生活|中学校一覧へ

学校生活|高校一覧へ

学校生活一覧へ

礼拝の話一覧へ

中学・高校 学年の通信から一覧へ

クラブ活動一覧へ

▲ページトップへ