清和女子中高等学校。創立113年の高知県の私立女子校。キリスト教主義の中高一貫校です。
2020/04/22
〈今日のお話をしてくださる先生のご紹介〉
清和のチャペル礼拝では外部の方にもお話をしていただきます。
4月から9月までお出でくださる先生は鍋谷仁志先生です。
鍋谷先生は日本基督教団土佐嶺南協会の牧師、また浜改田保育園の理事もされています。
どのような先生なのかは、毎週のお話を通して少しずつわかっていくと思います。
先生のお話を通して出会いがあればよいと願っています。
新入生の皆さんは、初めまして。
本来であれば私も、皆さんの前で最初のチャペル礼拝のメッセージをする予定でしたが、このように、原稿を読んでもらうことを通して、聞いてもらうことになりました。
どうぞよろしくお願いします。
〈本日のお話〉
先週の土佐嶺南教会の礼拝は初めてYouTubeでのライブ配信を行ってみました。
離れていても、共に神さまの前にいるのだなと教えられた、貴重な体験でした。
ふりかえってみれば、こんな時期を経験したことも貴重なことだったよね、と思い起こせることを信じて、今の時を、離れていても一緒に、乗り越えていければと願っています。
今朝の聖書の箇所、マルコによる福音書6章45節以下を開いて読んでください。
「湖の上を歩く」という小見出しがついています。
イエスさまが、弟子たちを舟でガリラヤ湖の向こう岸に行かせましたが、風が思うように吹かなかったのか、一晩中、湖の真ん中で右往左往していました。
弟子たちの何人かは、ガリラヤ湖の漁師でしたので、この時間、この季節ならどのような風が吹くかについて、よく知っているはずでした。
その彼らが、湖の真ん中で立ち往生してしまう。
よく知っているはずのことなのに、どうしたらいいか分からなくなってしまう。
どんなに不安だったろうかと思います。
弟子たちは、世界の果てにぽつんと取り残されたような、そんな怖い思いをしていたのではないでしょうか。
そんな一晩を過ごして、ようやく夜が明けるころに、イエスさまがそこに現れました。
弟子たちは、それが幽霊だと思って、怖くて大声で叫びました。
ただでさえ、一晩中真っ暗な湖の真ん中にいて、それこそ不安のまっただ中でしたから、向こうから人が水の上を歩いてくるのが見えたら、それはまあびっくりします。
当然のことと思います。
イエスさまは、恐れる弟子たちのところに近づいてきて、このように言われます。
「安心しなさい。わたしだ。恐れることはない」
恐れている弟子たちに向かって、不安でいっぱいの弟子たちに向かって、イエスさまは一言、「安心しなさい」と言われました。
「わたしだ」と言われました。
不安な弟子たちの前に、その姿を現し、力強い言葉をかけてくださる。
ここに、私たちの安心の土台、安心の源があります。
私たちが安心できるための土台、安心の源は、私たちに向けて、「わたしだ」と言われるイエスさまなのです。
キリスト教の神さま、また神の御子であるイエスさまは、今も生きて私たちと共におられる神さまです。
ただそこにいるだけでなくて、「わたしだ」と目の前に現れ、語りかけてくださいます。
私たちが安心できるように、働きかけてくださいます。
しかし、イエスさまが安心の源であると知っている人であっても、誰もがいつでも、本当にそうだなと分かって、すぐに安心できるわけではありません。
私自身も新型コロナウイルス流行の拡がる中で、今はいつも不安や恐れを覚えています。
礼拝や集会、教会のいろいろなことを、どうしたらいいか、いつも考え迷っています。
でも、そういう不安を感じる私にも、不安を感じているすべての人に対しても、イエスさまは、いつもいつも、ずっとずっと、言い続けてくださいます。
今生きて、私たちに、語り続けてくださる神さまなのです。
イエスさまは、不安や恐れの中にある私たちを決して離れることなく、いつもそばにいて守ってくださいます。
イエスさまの言葉に支えられて私も、不安があっても、不安があるのに、安心していられます。
それが、イエスさまに守られる、ということです。
清和での毎日は、イエスさまが自分を守ってくださっていることを、日々の生活の中で、実感していく毎日です。
チャペルから始まる清和の生活の中で、イエスさまが一緒にいてくださるから安心できるという経験を、先生方も先輩方もしています。
毎朝そのことがすぐに分かるわけではなくても、毎日の積み重ねの中で、いつの間にか、ああ、本当にそうなんだな、と、自分自身が実感していることが分かっていきます。
そういうふうに、イエスさまの励ましを受けていると、今度は自分たちが、お互いに「安心しよう、私たちはみんな守られているからね」と、励ましあうことができるようになります。
「安心しなさい、わたしだ」との声が聞こえる日々を過ごす中で、この言葉が、いつの間にか自分自身の言葉になっていく。
励まされるから、励ます力が与えられる。
励ますことができるようになる、お互いに。
これは素晴らしい体験です。
清和での日々は、チャペルから始まる生活の中で、この体験がますます積み重なって、本当の安心が確かにされていく、そんな毎日です。
ぜひ皆さんにも、このような素晴らしい体験を、一緒にしてほしいと思います。
いずれ始まる、清和で皆と楽しく過ごす学校生活を待ち望みながら、今の時もいつか糧になる経験だと受け止めて、今もイエスさまが守ってくださっていることを信じて、安心して過ごしていてください。
「安心しなさい、わたしだ」とのイエスさまの声は、もう私たちに届けられています。