礼拝の話

2020/04/22 

4月22日(水)聖書 マルコによる福音書 6章45~52節日本基督教団 土佐嶺南協会 鍋谷仁志牧師

〈今日のお話をしてくださる先生のご紹介〉

清和のチャペル礼拝では外部の方にもお話をしていただきます。

4月から9月までお出でくださる先生は鍋谷仁志先生です。

鍋谷先生は日本基督教団土佐嶺南協会の牧師、また浜改田保育園の理事もされています。

どのような先生なのかは、毎週のお話を通して少しずつわかっていくと思います。

先生のお話を通して出会いがあればよいと願っています。

 

新入生の皆さんは、初めまして。

本来であれば私も、皆さんの前で最初のチャペル礼拝のメッセージをする予定でしたが、このように、原稿を読んでもらうことを通して、聞いてもらうことになりました。

どうぞよろしくお願いします。

 

〈本日のお話〉

先週の土佐嶺南教会の礼拝は初めてYouTubeでのライブ配信を行ってみました。

離れていても、共に神さまの前にいるのだなと教えられた、貴重な体験でした。

ふりかえってみれば、こんな時期を経験したことも貴重なことだったよね、と思い起こせることを信じて、今の時を、離れていても一緒に、乗り越えていければと願っています。

 

今朝の聖書の箇所、マルコによる福音書6章45節以下を開いて読んでください。

「湖の上を歩く」という小見出しがついています。

イエスさまが、弟子たちを舟でガリラヤ湖の向こう岸に行かせましたが、風が思うように吹かなかったのか、一晩中、湖の真ん中で右往左往していました。

弟子たちの何人かは、ガリラヤ湖の漁師でしたので、この時間、この季節ならどのような風が吹くかについて、よく知っているはずでした。

その彼らが、湖の真ん中で立ち往生してしまう。

よく知っているはずのことなのに、どうしたらいいか分からなくなってしまう。

どんなに不安だったろうかと思います。

弟子たちは、世界の果てにぽつんと取り残されたような、そんな怖い思いをしていたのではないでしょうか。

そんな一晩を過ごして、ようやく夜が明けるころに、イエスさまがそこに現れました。

弟子たちは、それが幽霊だと思って、怖くて大声で叫びました。

ただでさえ、一晩中真っ暗な湖の真ん中にいて、それこそ不安のまっただ中でしたから、向こうから人が水の上を歩いてくるのが見えたら、それはまあびっくりします。

当然のことと思います。

イエスさまは、恐れる弟子たちのところに近づいてきて、このように言われます。

「安心しなさい。わたしだ。恐れることはない」

恐れている弟子たちに向かって、不安でいっぱいの弟子たちに向かって、イエスさまは一言、「安心しなさい」と言われました。

「わたしだ」と言われました。

不安な弟子たちの前に、その姿を現し、力強い言葉をかけてくださる。

ここに、私たちの安心の土台、安心の源があります。

私たちが安心できるための土台、安心の源は、私たちに向けて、「わたしだ」と言われるイエスさまなのです。

キリスト教の神さま、また神の御子であるイエスさまは、今も生きて私たちと共におられる神さまです。

ただそこにいるだけでなくて、「わたしだ」と目の前に現れ、語りかけてくださいます。

私たちが安心できるように、働きかけてくださいます。

しかし、イエスさまが安心の源であると知っている人であっても、誰もがいつでも、本当にそうだなと分かって、すぐに安心できるわけではありません。

私自身も新型コロナウイルス流行の拡がる中で、今はいつも不安や恐れを覚えています。

礼拝や集会、教会のいろいろなことを、どうしたらいいか、いつも考え迷っています。

でも、そういう不安を感じる私にも、不安を感じているすべての人に対しても、イエスさまは、いつもいつも、ずっとずっと、言い続けてくださいます。

今生きて、私たちに、語り続けてくださる神さまなのです。

イエスさまは、不安や恐れの中にある私たちを決して離れることなく、いつもそばにいて守ってくださいます。

イエスさまの言葉に支えられて私も、不安があっても、不安があるのに、安心していられます。

それが、イエスさまに守られる、ということです。

清和での毎日は、イエスさまが自分を守ってくださっていることを、日々の生活の中で、実感していく毎日です。

チャペルから始まる清和の生活の中で、イエスさまが一緒にいてくださるから安心できるという経験を、先生方も先輩方もしています。

毎朝そのことがすぐに分かるわけではなくても、毎日の積み重ねの中で、いつの間にか、ああ、本当にそうなんだな、と、自分自身が実感していることが分かっていきます。

そういうふうに、イエスさまの励ましを受けていると、今度は自分たちが、お互いに「安心しよう、私たちはみんな守られているからね」と、励ましあうことができるようになります。

「安心しなさい、わたしだ」との声が聞こえる日々を過ごす中で、この言葉が、いつの間にか自分自身の言葉になっていく。

励まされるから、励ます力が与えられる。

励ますことができるようになる、お互いに。

これは素晴らしい体験です。

清和での日々は、チャペルから始まる生活の中で、この体験がますます積み重なって、本当の安心が確かにされていく、そんな毎日です。

ぜひ皆さんにも、このような素晴らしい体験を、一緒にしてほしいと思います。

いずれ始まる、清和で皆と楽しく過ごす学校生活を待ち望みながら、今の時もいつか糧になる経験だと受け止めて、今もイエスさまが守ってくださっていることを信じて、安心して過ごしていてください。

「安心しなさい、わたしだ」とのイエスさまの声は、もう私たちに届けられています。

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