礼拝の話

2021/10/28 

10月28日(木)聖書 創世記 2章4~7節 日本キリスト教団 土佐教会 高橋伸明伝道師

「心」はどこにあるのでしょうか。

実は現代の最新の医学でも、「心がどこにあるか」ということは完全に解明されていませんし、実は心の全体が、体の全身に宿っているのではないか、という考え方もされているくらいで、人の心と体は密接につながりあっているといえます。

もし誰かの心を深く傷つけるようなことをすると、傷つけられた人は体の調子までおかしくなってしまうことがあります。

また、逆に体を痛めつけるようなことをずっとされていると、精神状態までおかしくなることがあります。

あるいは反対に、体を健康に鍛えたり、整えたりすることで、精神的にも健康になったりすることがあります。

このように礼拝などで、「姿勢を正して、心を静めましょう」と言っているのも、体の姿勢と、心の姿勢が密接につながりあっているからです。

体の姿勢を整え、静かな状態にすることで、心も落ち着いて欲しいからです。

人間が死ぬ時、その人間の重さは少しだけ軽くなると言います。

人は死んだ瞬間に、ほんの少し、21gほど体重が軽くなるらしいのです。

昔の人たちは、この世のエネルギーの量は一定で変わらない、という法則は知りませんでしたが、人間の体の中に命のエネルギーが吹き込まれている間は人間は生きていて、死ぬ時にはそのエネルギーが出て行くことは分かっていて、そのことを今朝の聖書の箇所のように、「神さまが人の鼻に息を吹き入れて、それで人は生きるものになった」という風に書いたのです。

そして、死ぬ時には「息を引き取る」と言いますが、「息が引き取られて、体から出てゆく」という風に表現しました。

エネルギーという言葉も考え方もなかった時代なので、「息」という言葉で表現しましたが、とにかく人間一人ひとりの体の全身に、命と心のエネルギーが吹き込まれて宿っているということを言いたかったという点では同じです。

私たちはお互いに暴力をふるったり、人の心を傷つけるようなことをしたり言ったりすることがあります。

人の体に痛みを与えることは、心を傷つけることと同じです。

人の心を傷つけるような言葉を浴びせ掛けることは、相手の心を落ち込ませるだけではなく、体の健康をも失わせることがあります。

互いにそのような、人の痛みをちゃんと感じ取れるような人になっていって欲しいですし、私もそういう自分になりたいと目指しています。

学校生活の様子

学校生活|中学校一覧へ

学校生活|高校一覧へ

学校生活一覧へ

礼拝の話一覧へ

中学・高校 学年の通信から一覧へ

クラブ活動一覧へ

▲ページトップへ