清和女子中高等学校。創立113年の高知県の私立女子校。キリスト教主義の中高一貫校です。
2021/11/09
私はテレビコマーシャルが好きです。
CMというのは15秒や30秒の中に、人の注目を引き付け、伝えるべきメッセージが凝縮されています。
以前放送された日本郵政グループのCM、BGMに「涙そうそう」という歌が流れる中、日本の田舎の風景や人々が映し出されます。
どこか懐かしさを思い起こさせるその風景の中に、小さな郵便局が現れ、CMの最後には画面上に大きく『一人を愛せる日本へ』と文字が出ます。
私は、この『一人を愛せる日本へ』というキャッチコピーを見た時、「いい言葉だなぁ」と感じました。
今朝読んでいただいた聖書の箇所では、キリストが「この最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである」と語っています。
私たちは、私たちが出会う人たちに対して、そういう具体的な愛情を示していこうじゃないか、ということがここに書かれています。
そういう具体的な愛の行為をすることが、結局神さまを愛していることにつながる、ということがここには書かれています。
すべての人間は神さまから愛されているので、人間が人間を愛するということは、神から愛されているものを大切にすることになります。
ですから、そのような愛の行為は、神さまにも喜んでもらえるはずなのです。
『塩狩峠』や『氷点』といった作品で知られているキリスト教作家の三浦綾子さんが遺した言葉に、こんなものがあります。
「人間には、愛するという言葉は言えても、厳密な意味で、真に愛するということはできないのではないか」。
「真に愛する」とはどんな愛し方のことをいうのでしょうか。
「真に愛する」ということは、自分を犠牲にしてでも、自分以外の人のことを優先するということなのかも知れません。
そういうことは、確かに人間には難しいのかも知れません。
また、私たち人間には、「悪」の部分も必ず潜んでいて、人をいじめたり、迷惑を掛けたりするようなことに喜びを感じてしまったりすることも正直言ってあります。
ですから、完全に純粋な人間になることは、人間には不可能ではないかな、と思います。
しかし、どんなに純粋でなくても、どんなに薄汚れていても、一度限りの人生の中で、「この人だけは幸せにしたい」と思うような人を一人でも得ることができたなら、その人生はとてもハッピーでラッキーなのではないかとも思うのです。
小さな一人の人を大切にする。それをみんながやってみる。そこから世界が良いものに変わってゆく。
そんな気がするのです。